sifue's blog

プログラマな二児の父の日常

研究とは、情報を整理し、理論を打ち立てること

本日は午前11時に研究室について、今まで溜まっていたピペット当番の用事などを終わらせようと、ずーっとピペット作業をやっていました。加えてちょこちょこと就職活動のこともやりながら一日が終了。他にもディテクションの現像、固定液なんかを変えたりもしました。
今日は”研究とは何か”について、最近具体的な考えがまとまったので書こうと思います。ちょっと前まで研究は、”研究室ですること”みたいな定義だったのですが、助手さんとの話の中でやっとひとつの結論にまとまりました。研究とは

  • ”情報を整理し、理論を打ち立てること”

と、今自分の中での定義はこうなっています。つまり、例えば自分の場合ですが、細胞を分析や制御するバイオマテリアルを作成しているわけですが。それを何回も作成して試して情報を集め、その結果から仮説を打ち立てて、仮説を検証して、最終的にこれらの挙動はこのような式や法則によって表せ、このような使用法がもっとも最適、というような理論を打ち立てる。つまりこれが研究なのだと思います。あと助手さんと、研究という作業もいずれは機械化されるのかという話もした。結論は、他の単純作業と違い研究だけはなかなか機械化はされないのではないかと話ました。最近、職人の技術をロボットに覚えさせて作業を行うロボットや、人型でコミュニケーションをとるロボットまで作られていますが、さすがに機械化の世界になったとしても、理論を打ち立てる点についてはなかなかその知能をつくりあげることは難しいのではないかと話合いました。その理由なのですが、

  • コンピューターには突拍子もない(一見非合理な)仮説が立てられない
  • その時点での、人のための理論を作れない
  • 人のためにざっくりと(あいまいに)情報を整理できない

などがあげられます。つまり研究という思考作業だけは、ずーっと人間がやり続けられることなのだと思います。そう考えると自分も研究者としてやっていきたいなぁという気もしています。
あと、その際に例えばシュミレーションをやっているコンピューターは研究をしているじゃんとかそういう話になりますが、あのコンピューターは一見理論を打ち立てているように見えますが、情報を整理しているわけではありません。つまり、今までの膨大なデータの蓄積と理論から最適解を出しているのですが、それらを整理し、まとめて理論を打ち立てているわけではないので研究ではないという結論にいたります。あと、DNAシークエンサーなどの機械も、ひたすら情報を出しているだけなので研究ではありませんね。
これらの例から言えるのは、論文としても、ただ自分の実験結果の出した情報を垂れ流すだけでは研究とは言えない、そういうことになってしまします。そこらへん自分も気をつけなくてはいけませんね。逆に理学や工学や医学以外であっても、”情報を整理し、理論を打ち立てること”をやっていれば研究と言えるわけですね。よくテレビなんかに出ているさまざまな評論家やアナリストも言い方によっては研究者と言えるのかもしれません。