sifue's blog

プログラマな二児の父の日常 ポートフォリオは www.soichiro.org

発言量が多く、批判的な人は賢い人と見られがちだが。

頭が良いフリをする方法
http://www.chikawatanabe.com/blog/2006/03/post_9.html
というエントリーが非常に面白く、共感する部分もあったので紹介です。そこから少し抜粋。

頭が良くなるのは大変だが、頭が良いように見せかける方法はある。あんまり無理すると笑われるだけだが、ちょっとだったら底上げ可能。<中略>
どういうときに、相手を優秀だと勘違いしてしまいがちか、という例として
1.外向的な人
2.批判的な人
3.自分の得意な分野について語っている人
が挙げられている。これ、コンサルタントの3つの得意技、とも言えます。コンサルタント的にはどう活用するかというと:

1.外向的
→とにかくたくさん話す。必殺「質より量」である。あれこれあれこれ弾丸のように話している中に、相手の琴線に触れるものがあれば、
「おお、この人は良いことを言う」
と思ってもらえる。それ以外は、話したこと全部を覚えていられないくらい、とにかく滝の流れのように話す。さすれば相手は、「良いこと」と思った一点しか覚えていない。

しかし、立て板に水であれこれ話して、一つもヒットしないと、ただのおしゃべりに成り下がる、という危険もあるので、ヒットを増やすべくベース知識を常に仕入れておく必要はあるのだが。

本当は、無口で時々ポツリと語る一言がすごい、というのが格好いいが、マッキンゼー時代もそんな人はみたことない。成功するコンサルタント=饒舌、です。少なくとも仕事の時には。ただし、早口である必要はない。

自分自身もこの点はかなり共感できるところですね。やっぱりプレゼンテーションのコンペティション、グループディスカッション、ディベートのどれをとっても重要感を持たせる人は、とりあえず多くの発言をすることによって質を生み出し、価値があるように見せていると思います。そして、内容のキーとなる展開を持ってくるのはこの質より量を行っている人が非常に多いと思いますね。
まず会話を提供するということは、内容はどうであれ、とりあえずたたき台というものを提供しています。さらに量が多いことでそこに質の高いものが出てくる可能性も高くなります。なので、実際の議論の進行に与えた影響がどうであれ、貢献度が非常に高いように見えてしまうんですね(苦笑)
ただ、このように自分を賢く見せたい場合にも気をつけなくてはいけない点も数点あると思います。

  • 絶対相手の発言をさえ切らない(明らかに建設的発言の場を壊す以外のものに対しては)
  • 会話中、発言をあまりしない人のための"間"と"質問"を用意する

これをすることによってさらに自分を偉く見せるだけでなく、相手への配慮というか、心遣いのある人と認識されるようになると思います。
特に日本人は"和を持って尊し"とする点があるので、以上2点に対しても配慮を払うべきなのかなと最近の自分は思っています。まあ、それよりも本当の意味で建設的な議論を楽しくできるのがベストなのですが。

2.批判的
→相手を個人的に批判すると角が立つが、相手の会社や事業を批判するのは有効。もちろん、深い準備と、それに基づききちんとポイントを付いた指摘でないとダメだが、「あなたの会社を考えていればこそ」と、ビシビシと難点を指摘する。

また、よりプライベートな話の場では、そこにいない第3者を批判する、というのも有効。「誰それはダメだ、なぜなら」といった感じで、単なる好き嫌いじゃなく理由を明快にして批判する。さすれば、アーラ不思議、まるであなたは優秀な人のように見えます。

これは本当に重要な点です。批判がうまい人は本当に賢く見えてしまいます。決して偉いわけではないのですが会話の中で、批判、つまり
問題を明確に定義する
これをするだけで、今まで見えていなかったところ、自分が感情的であったために考えもできなかったことをされたような気になります。
ただこれもまた重要な問題があって
自分の意見やデータを批判されると、自分の人格を否定されたような気になる点
これがありますね。ここを理解していないと、かなりの反感を買うことになるでしょう。ただ、どう考えても批判、つまり問題を明確に定義することは論理的な議論の中で避けられない行為です。この点が論理的な議論が難しいと思える点なのかもしれません。いわゆる「情緒」より「論理」が勝ってきている人がデキルと思える傾向が現代社会にはあります。
ただ自分自身は現在は、「情緒」はモチベーションやモラル維持のために非常に重要な要因であると考えており、

  • 「情緒」的にも「論理」的にも質の高い妥当な判断

をすることがベストなのかなと考えています。なのでそこを織り交ぜた議論に持ち込み、うまく進めることによって、非常に良い議論ができるのではと考えています。

3.自分の得意な分野について語る
→これは、まぁ当然といえば当然だが、いかなる話も自分の得意な分野に引き寄せて語る、という話術が必要なのだな。

確かに…。自分の専門分野の話をすれば要点が外れていても立派なように見えてしまいますね。自分も本当に苦肉の策の時にはこのようなことをしてしまいますが、本当にやらなくては行けないとき以外はできるだけやりたくはないものです。

とこんな所です。現代の社会生活におていデキル人のタイプというのが随分定まってきているのかもしれませんね。「発言量が多く、批判的な人」これがベストということになるのでしょうかね。確かに論理的な議論をひたすら推し進める点に関しては、このような人が実際に価値を出すのかな、と思っています。