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sifue's blog

プログラマな二児の父の日常

なぜ生きるかを知っているものは、どのように生きることにも耐える

 ニーチェの格言をタイトルにしていましたが、この度、無事修士論文を提出し終えたということもあって、新しく本を読みました。

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 自分の祖父の本棚にもあった古い本、「夜と霧」です。タイトルはこの本の部分でもっとも印象の強かった部分から取りました。内容は、心理学者の著者が、ナチスドイツのアウシュビッツに送還され、強制収容所内で起こった人々の心理を客観的、学術的に考察した本です。すべての持ち物を奪われ、全身の毛を剃られ、日々、ガス室では労働できなくなった人が殺され、周りでどんどん人が自殺し、チフスや飢餓で人がバタバタ死しんでいくという環境で、重労働を課せられ3年間を送った著者が被収容者と管理者の心理状況を考察しています。
 非常に感銘した部分が沢山あったのですが、特に感銘を受けた部分は、この過酷な環境を生き残った人とそうでない人を分けた差を考察した部分でした。それは以下の部分も受け取れます。

医長によると、この収容所は1944年のクリスマスと1945年の新年の間の週に、かつてないほどの大量の死者を出したのだ。これは、医長の見解によると、過酷さを増した労働条件からも、悪化した食料事情からも、気候の変化からも、あるいは新たに広まった伝染性の疾患からも説明がつかない。むしろこの大量死の原因は、多くの被収容者が、クリスマスには家に帰れるという、ありきたりの素朴な希望にすがっていたことに求められる、というのだ。

 これは、過酷な状況を生きる人たちにとって、生きる目的を持つことこそが唯一、過酷な状況に耐える術であるということをあらわしています。そして、生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在するころの意味をなくすとともに、がんばりぬく意味も見失った人は死んでしまう、という事実も伝えています。
つまり、生きる目的を持っている人はどんな環境でも生きていけるが、目的がない人、失った人は生き抜く精神を持ち合わせない、ということなのです。これは人間とは何かを非常に良く表しているなと感じます。
現代社会、いじめによる自殺や、社会的な閉塞感による自殺がよくニュースで取り上げられますが、それらは生きる目的が確立できない、というところにすべての問題が集約される気がします。
生きる目的として、家族や恋人のために生きる、夢のために生きる、仕事や社会のために生きる、また自分を必要としてくれる人のため生きる、そのようなことがしにくい世の中、それが現代なのかも知れません。
ただ著者は、このような人たちに生きる希望を与える方法として

ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性と唯一性は、仕事や創造だけでなく、他の人やその愛にもいえるのだ。

と書いています。これは、ひとりひとりが、他人を、そして自分自身をかけがえのない存在として認識することで、人は目的を持って生き、強く幸せに、どのような場所でも生きていける、ということを言っているのだと思います。
自分自身の幸せのために、周りの人々の幸せのために、他人を、そして自分自身もかけがえのない存在として意味を与えること。これがこれからの世を人が、より幸せに生きていくために必要なことなんだなと感じた本でした。

あなたの経験したことは、この世のどんな力も奪えない

この事実が、世の中のどんな人もかけがえのない存在であることを証明していると思います。
他にも、人が過酷な状況に陥った際の心理状況、同じ同胞から管理するものを選出するというカポーという制度の影響など、「人間とは何か」を表すさまざまな事象が、特異な事例を切り口にすばらしく丁寧に書かれています。結構短い本なので読みやすい本です。オススメです。