sifue's blog

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技術喪失はあるのか?―自動車を解体し、その技術の集積度に驚く。

今日、うちの会社の名物研修、自動車解体をやってきました。
2日間かけて解体したわけなんですが、自動車は人類の持てる技術の集積体であるということが痛いほどわかる研修でした。思えば、今や自動車には人類が開発した技術的要素が大抵組み込まれています。カーナビのソフトウエア、GPSから電子制御部分、エンジンなどの燃焼機関から、空気清浄機のフィルター、マフラーの触媒機構、はたまたオーディオ設備や樹脂やスポンジで作られた内装、ゴムタイヤ、カム、ベアリングに至るまで、これほどまでに人類のさまざまな要素技術が集積された構造物というものもないんじゃないかと思います。
内部を解体し、見てみていろいろ感じることも多かったのですが、とっても複雑な形状をしているにもかかわらず、これら一つ一つがとても高い精度で設計されているものであるということに驚きます。ボンネットの中身を空ければわかると思いますが、あんなに詰め込んでいるにもかかわらず、配置に無駄がありません。そしてそこには超高密度に、さまざまな工夫がこらされています
本当にこのような自動車を設計をしている人には頭があがらないなぁと思いました。
反面、最近は、自動車の設計上の問題でリコールが起こったりすることも多くなってきました。昔に比べてもしかしたら人類は技術的に退化してきているのではないかと思うことがあります。
  
現代の物理学の概念や分子生物学の概念というものはほとんどが1990年代の前半に創造されたものです。今の研究も概念的にはそのころの土台に根付いています。そして、この自動車もいわゆる完成系が出来てきたのは、1990年代中盤です。自動車も設計の概念自体はそれ以降そう対して変わっていません。そう考えると、1990年代前半から生きてきた人たちの英知や哲学というものが、ここに来て失われつつあるんじゃないか、という不安が自分の中にあります。
 
なんというか、コンピューターなどもそうですが、もうすでにコンピューターのユーザーは、これがノイマン型の計算機であるなんていう考えなどはとうになく、筆記用具の代わりとして、通信手段として、AV機器として使っているだけになってしまって、その成り立ちなどはどうでもよくなってしまっている気がします。というか、そういうことを知っている人自体がとっても少ないし、知ってもお金にならないので、だれも興味を持たなくなりつつあるという気がしています。
こういう現象をいわゆる『バカになっている状況』と自分は考えています。そして原理や要素技術を知らないために、もしものトラブルが起こったときに、自分では何も手が打てないという状況になってしまうのではないかと思っています。そして、そのような原理を利用した新しいアイディアも生み出すことはできません。
 
最近、金型など製造業の技術をいろいろ勉強し始めて思うのですが、どんどんこの世界から技術が消えてなくなっているのではかいかという気がしています。
特に産業技術の中のものには、いわゆる学問にならなかった技術というものがたくさんあります。有名なところでは「化学繊維」などがあります。化学繊維をもとにした企業は有名企業がたくさんありますが、繊維系の学会は、一番多い時期は6個もあったものの今は一つになってしまったそうです。
結局、基礎学術領域にならず、産業の中でしか生き残らなかった知識は、市場原理によって淘汰された結果この世の中から消えてゆきます
そうなると要素技術の元の技術がなくなり、人類の技術力が低下する、そういう結末に至りそうです。
そもそも人類が営みを続ける限り、技術というのはどんどん増えて行きます。そう考えると技術系学問領域というのはどんどん大きくなっていくはずなのですが、時代はその現状とは逆行し、理系や技術離れが起こり、サービス中心の世の中が形成される流れです。
そもそもそいういう技術的なものは、人件費の安い国におまかせ!ってのが世の流れなのかもしれませんが、人類が人類のために高い技術を維持するための努力をする体制を作る、という世界的な流れとして必要なんじゃないか、と自分は考えています。つまり、高い技術的ベースをもつ創造的人材が世界に育たないと、人類は技術を進歩も維持もできないということです。
 
まあ自動車ひとつを見て、先人の偉大さを知り、まだまだ自分が無学だなぁということを思い知らされました。
とにかく自分が勉強しろって話ですよね(苦笑)これからもいろいろ勉強し、ゼロからものごとを考えて何かを生み出せるようになりたいと思っています。