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大学の研究は”競争”と”教育”のどちらを優先すべきか。

今日は、大学の研究は競争と教育のどちらを優先すべきかを考えていました。そして考えがまとまったので書こうと思います。
正直、今の研究室は競争しなくては生き残っていけません。研究室レベルで見た時には、科研費などの研究費の獲得のための競争が言えますし、個人の研究者レベルで見た時は、インパクトファクターの高い論文をどれだけ持っているかによって決まる収入やポストをめぐる競争が考えられます。そしてこれらの競争に負けた研究室は縮小し、研究者は消えてゆきます。
特に自分のいる、産業化や医療に直接結びつくバイオの学問領域では、この市場の原理に沿ったこの競争が激しく、企業、国の研究所、大学が競って論文や特許を出しています。そしてそれらの論文や特許が数百億ドルという利益を生み出しています。そして、それだけ金銭がかかわる問題だけに、ここ数年は偽造論文などが横行し、学術の世界のモラルが崩れる自体がおこっています。ただこれらの問題も研究者の身になって考えると、自分自身の生活や研究室のメンバーの生活を守るために嘘さえつかなくてはいけない状況になっているとも言えます。
本来、大学は教育する場所だと思います。しかし現在の世の中では競争しなければ教育することさえできない、というのが現状です。
さて、ならば大学の研究は競争と教育、どちらを優先すべきでしょうか?ちなみに大学として競争を追及するならば以下のような事をするでしょう。

  • 学生を安価な戦力とするために必ずドクター過程に進学させる。
  • 上司が論文まとめに専念し、学生には決まったテーマを持たせず、学生をその場その場の労働力としてフルに活用する。
  • 基礎教育よりも、マニュアルで統一した実験技術を教え、実際の作業だけをやらせる。つまり研究姿勢ではなく実験姿勢のみを教える。
  • 技官をできるだけ雇わず、安価な労働力の学生を活用する。

こうなっていくことになるでしょう。ただ残念なことに研究とはそもそも労働集約性の非常に高い産業であり、お金や優秀な人材が集まれば集まるほど良い結果が出ます。つまり、学生は競争をする上では足かせにしかならないのです。よって以上のことをして競争力を高めようにも、どんどん入ってくる新しい学生が足かせとなり、純粋に競争力では企業や国立の研究所には勝てないのではと思います。
そう考えたときに、大学はどうするべきなのかということになります。正攻法の競争力、つまりお金と人材で企業や国立の研究所にかなわないのであれば、アイディア勝負の奇襲戦で戦うほうが有利ではないでしょうか。そしてこのような見地に立ち競争力を考えるのであれば、あえて教育を行い、基礎力を高めた中から奇抜なアイディアを育てて行きそれを競争力とする、それが大学として正しい競争の仕方なのかなと思います。
現状を見てもわかるように、大学の研究において競争だけに重点を置いても破綻します。そして、教育だけを行っても生き残って行けません。つまりバランスが重要なのです。ただ自分自身は、大学は教育に重点を起き、社会に貢献しながら、基礎力と奇抜なアイディアを武器に競争をしていくというのが、大学のあり方なのではないかと思います。
実際に、大学の教員の方々は大学の研究において競争を優先しているのか、教育を優先しているのか聞いてみたいところでもありますね。