sifue's blog

プログラマな二児の父の日常

論理はただの便利な道具。

本日は朝から、某会社の面接へ、その後SPIのテストを受けて夕方から研究室へ行ってきました。研究室では文献紹介の下調べをいろいろしようと思っていたのですが、グループの後輩のディスカッションや解析が大変らしく手伝うことに。いろいろ動画解析をしているうちにあっという間に終電になり、帰宅という感じです。
実は今日は電車移動の合間に今売り上げランキング一位の国家の品格という東大の数学科を出てケンブリッジに行っていた教授の本を読破しました。

国家の品格 (新潮新書)

国家の品格 (新潮新書)

まあ何が書いてあったかと言うと、キリスト教ピューリタニズムに発端を持つ今のアメリカ主導の、自由と平等による民主主義とその上で動く市場競争原理や徹底的論理主義だけでは世界は破綻しますよってな内容と、日本には論理だけではなくて情緒や形というものも考えることができ、基礎学力が高いエリートが必要だって事が書いてありました。
数学科の人が書いただけに非常に共感できる部分が多い本でした。加えて「英語よりは国語や社会をを勉強させるべき」という考え方は自身も国際交流活動をいろいろして一番思ったことでもありました。英語はずさんでも、内容が良ければ共感を得ることができる。逆に内容で納得させることができなければ真の国際人とは言えないという思想です。
主題としては、現代はアメリカ主導の論理と合理中心の社会になってきているが、それを推し進めた結果が、今の市場競争原理「神の見えざる手」にゆだねる社会であり。その結果、証券マネーゲームは加速しレバレッジ投資を行う会社によるデリバディブで、今や市場では世界中の国のGDPを全部たしても足りないぐらいの仮想投資が行われて、大企業が損失で突然つぶれていろんな人々が路頭に迷ったりし、過度の競争で上層1パーセントの人が半分以上の富を持つ社会になったり、世界は下層の無教育な人による犯罪やテロやで社会問題が蔓延しているという事が書いてあります。
この本の中では、論理はただの便利な道具であって、すべてを決める原理ではないというところを論理だてて説明し、どのような論理もAだからB、BだからCという風になっていて元をたどっていけば、論理では語れない哲学にたどり着くという事を論理的に説明しています。
たいてい社会システムの場合、大元の部分は個人の自由や平等に基づく論理によって構成されており、いかに個人の自由が、平等と衝突するのかも書いてあります。そもそもよくよく考えれば、個人の自由を推し進めても競争しかありませんし、自由と平等は本来ぶつかりあうものですよね。加えて平等というのはそれぞれの価値観によって、何を平等とするのかさえ変わってきます。税の徴収ひとつとってみてもそうであって、そもそも出発点は論理的に説明できない哲学的な部分です。最後は、この民主主義システムは構成員全員が本当に賢くないとうまく動き得ないという風に書かれています。
で最終的に、そのような論理で語れない部分、日本的な情緒や形の教育をするべきだとこの本では結んであります。論理とはひとつの便利な道具で手段、それよりも論理を構成して貫くための哲学である「卑怯を憎む心」や「武士道精神を主軸とした道徳観」このようなものの方がずっと価値判断のために重要とまとめてありました。
ここからは自分の意見ですが、思えば人々の行動に関するどのような命題でも「なぜ?」を何回も繰り返すと「自分自身が社会に貢献したいから」とか「自分の人生をより実りあるものにするため」とかそういく根本的なところにたどりつくはずです。そしてこれらは論理的になぜかは説明できない。要するにこれらはそれぞれの持っている道徳観や哲学観、人生観に支えられているものだからです。今回のこの本を読んで、哲学の上に論理というものは構築されていくんだなという事を再認識しました。
ちなみにこの本を読んで最後に思ったのは、自分の好きな諸葛孔明の言葉に通じるところがあるなと思ったところです。絶対勝利の格言で
「天に逆らわず、時に逆らわず、人に逆らわず」
という言葉です。要するに天に、時に、人に便乗すれば絶対勝てるということです。逆にどれかひとつにでも反せば勝ちは危ういということでもあります。
これが言ってる天とは、天候や地勢や状態であり論理が説明する部分。時とは、タイミングでありそれも論理が説明します。そして人とは、いろんな人が共感し、敵さえもその行動の理由を理解しているかどうかという所です。そうです。人がどうなのか?という所を問うているのです。やはり判断というのは、「論理的にも情緒的にも妥当な判断」これが出来なくてはなかなかうまくいかない事を、昔の人は知っていたのかなと思います。