sifue's blog

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資本主義の精神と他人を尊敬する心

最近、マックス・ヴェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神を読み直しています。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

以前読んだのは高校時代だったので、今さらまた読むととっても新鮮な感じがします。ちなみに書かれている内容を噛み砕くと
「今の禁欲的な利潤追求主義である近代資本主義の精神は、プロテスタントの個人が金を稼ぐことにトコトン集中すれば神に救われるよ、っていう天職思想からやってきてる」って感じです。さらに噛み砕いて最近の話に沿ってすれば
ホリエモンが持ってるような雰囲気は、アメリカ人ビジネスマンのプロテスタントの天職思想から来てるんだよ」って感じでしょうか。
例の国家の品格にも書いてありましたが、資本主義の徹底的な利潤追求の姿勢を論理的合理で推し進めると、ホリエモンのような考え方を進めるのがもっともスマートであるのは自明の理です。ただ、やっぱりお金だけの軸で物事を考えるのには無理かがあるんだなと思わされます。まあ資本主義の精神に沿って考えるならば、時間もお金だし、信用もお金だし、勤勉もお金につながるしって感じですが、金銭欲は結局人間が構成している欲の中の、特に社会的欲求の中の一部にしか過ぎません。ちなみにこの本の中では、どんな労働集約性の高い仕事についても、時給が高すぎてもみんな働かなくって効率が悪くなるし、時給が低すぎても働かなくなるとう現象がおこり、これは人間の活動がお金だけで語れない事を示している、という事が書いてありました。まったくそのとおりですね。にしても86年前にホリエモンみたいな人がいろいろ問題を起こすって事を書いているマックス・ヴェーバーは本当にすごいですね。シュレーディンガーもそうでしたが、昔の人間の方がすごいのかもしれません。
ちなみに自分的には、例の国家の品格とは違う答えが出ていて、こういう資本主義の精神である「利潤追求こそが唯一の正義!」みたいな時代だからこそ必要とされるのは、「他人を尊敬する心」なんだと思っています。もちろんそれは、それぞれの持つ感情を尊重するという事でもあり、例の「情緒や形」につながるところもあります。ただ何よりも、違った価値観を認め、お金だけの単一パラメータではなく、超多次元のパラメータで人を見、そのすべてを尊重できる心こそ、本当に重要なのではないかと思います。
まあ、「年上の人や目上の人を尊敬せよ」ってのを合理的に説明するのは、金銭主軸の論理で語るのは無理な話でもあるので、この他人を尊敬する心というのは倫理的価値観からくるまったく別の考え方なんでしょうね。