sifue's blog

プログラマな二児の父の日常

”愚痴”と”相談”の違いは、解決する意思と双方向性。

友人の一人が愚痴をこぼすという行為を

  • 問題を解決する意志がなく、問題点ばかりを列挙すること

と定義していて、最近自分自身もこの点に共感したので愚痴について書こうと思います。
さて、愚痴をこぼすことによってこぼした本人は何を得ようとしているのでしょうか。それは、問題点を共有し、不安や心配、恐れ、怒りなどの感情をともに相手に共有してもらうことによって、自分自身の感情による負担を軽減させようとしているのだと思います。
しかしながら、聞いた相手がその愚痴を聞いてあげるだけの精神的な余裕がない場合には、その不安や心配、恐れ、怒りというものはその愚痴をこぼした相手戻っていくという性質(ミラーイメージの法則)も持っています。なので愚痴と言う行為は人と人とのコミュニケーションの摩擦になりやすいんだと思います。
今日は、この「愚痴」と「相談」の決定的な違いを書こうと思います。実はそれはとてもシンプルで、

  • 話す本人に本気で問題を解決する意思があるかどうか
  • 相手と信頼のある双方向コミュニケーションができているかどうか

この2点に絞られるんじゃないかと思います。つまり建設的な意見を持って意見のキャッチボールができているかなのです。
「愚痴」の場合、自分の問題点を伝え、さらにそれに対して批判的な事実を並べて、いかに自分の不安や心配、恐れ、怒りが大きいのかと言うことを伝える事に終止します。つまり情報の流れは一方通行です。ボールを投げっぱなしの状況です。
「相談」の場合は、あらかじめ結論が本人の中で出ている事が多いものの、解決しようとする姿勢をもっており、相手に助言を求めています。問題を建設的な意思を持って議論にかけ、違った視点からの助言を待っているのです。そして相談は相手側の意見も戻ってきて、双方向のコミュニケーションが達される事によって完結します。つまりキャッチボールです。そしてここには、不安や怒り、心配などの共有だけではなく、これらを生み出す負の感情に対してともに立ち向かおうとする連帯感が生み出されています。そして、たとえ正しい答えが相談によって得られなかったとしても、相談をしあった二人は精神的な満足感を得ることができるのです。
つまり「愚痴」と「相談」は、共に「問題」と「負の感情」が生じている同様の状況であるにもかかわらず、起こす効用は正反対のものであると言えます。
最近、多くの人が双方向のコミュニケーションのない投げやりな愚痴ばかりをこぼし、お互い傷つけあいイライラしあっている場面を見て、本当に悲しくなります。これはひとえに、相手を尊重し、本気と信頼を持ってコミュニケーションを取り、相談をする場が少なくなってきているのが原因なのかもしれません。
ここまでくると、"「相談」ができる"と言うことは、大きなコミュニケーション能力のひとつなんじゃないかと自分は思います。そう、愚痴ではなく相談を。自分自身も精進しなくてはいけませんね(苦笑)