このコラムには、その1とその2があります。もしまだそっちを読まれていない方は、
http://d.hatena.ne.jp/sifue/20050314#p1 (その1)
http://d.hatena.ne.jp/sifue/20050320#1111392671 (その2)
を先に読んでもらうよう、お願いします。
現在、研究室の関係で学会でテキサス州のヒューストンにやってきています。こっちは東京と違ってもう完全に夏ですね。青空が超きれいです。というわけで、何気にそこで取った写真などをUPしてみますね。
今回は、文理融合について書いて行きたいと思います。よく、日本の社会は文系と理系が乖離していてそれが仕事の非効率を生んでいるという話をよく聞きます。確かにそれは間違っていないと思います。ただ、その原因を文系と理系の中間がないからだという考えてその中間の学部を大学に作ってしまう場合があり、今回はそれがいかに間違っているかという事を書きたいと思います。
現在、日本の大学には、基本的に理系と呼ばれる理工医薬学部と、文系と呼ばれる政経商人文学部があります。そして、その複合領域として、数多くの総合なんちゃら学部とか、複合なんちゃらとか、学際何々、環境なんちゃらとかの学部があったりします。
ちなみに自分の素直な感想から言いますと、その文理融合学部にいっている人は、なかなか技術系の就職をしていないという風に感じます。というより、就職先がなかなかない…そんな風に感じています。これは何故かと言うと、本当に勉強している事が中途半端だからです。文系でそれを専門に勉強している人たちに劣り、理系でそれを専門にしている人たちに劣る、さらに、その中間の学問と称する専門性の更に高い学問だけを勉強している。そんな人材が社会に広く活躍できると思ったら大間違いです。その1で、理工系の研究は社会に貢献している場合が少なく、サイエンスにだけ貢献している場合が多いという話がありました。しかしながら、この文理融合学部に関して言えば、社会にもサイエンスにも貢献できないよくわからない研究をしている場合が非常に多いように感じます。要するにこの文理融合学部で学んだ学問を利用して、その学んだ事を活用し社会に貢献できる職につくことは非常にまれであるし、サイエンスに対して貢献する事はもっと稀だという事です。なぜ、そんなものを日本は沢山作ってしまったのでしょうか…。
ここからは自分自身の想定になりますが、たぶんそれは、海外、特にアメリカの先進校のダブルメジャー制度に影響されたからではないかと思っています。自分が知っているのはスタンフォード大学(理工系学部の質の高さではMITと1,2位を争うほどの大学)の事例ですが、ここでは、学生の2〜3割がダブルメジャーと称して、二つの学部を卒業します。例えば経営学と数理工学とか、生命工学と情報工学とか、情報工学と経済学だとか、このように二つの学士を獲得して卒業していく場合があるのです。そして、ここから生まれた優秀な学生は、複合領域に対して非常に強く、専門性を生かしてかなり広いフィールドで活躍できる人材になっていきます。
日本の複合領域は、これに触発されて、これからは広いフィールドで活躍する人材を育成するために、文理融合学科を沢山作ったのではないかと思います。しかしならが、何が失敗だったというと、そもそもそんな複合的な部分を教えられる教授などはこの世の中にそんなに多くはいないのです。そのため、それぞれの文理融合学科では、融合する前の二つの学科からそれぞれ先生を連れて来ています。そして、行なう研究というのはその中間でなくてはいけないという制限を受けるので、非常に狭いその中間に関しての専門性が高くなり、更に融合する前の学問に対する専門性は下がり、結果、とても狭いフィールドでしか活躍できない人材を輩出しているのです。
だからと言って、既に新しい学科を作る事で大学は非常に多くの雇用を生み出してしまっているので、そこで働いている教員や既にいる学生をないがしろにして、成果が出ないからといって切り捨てるわけにもいかない状況に、今はあるのではないかと考えています。
このように、今の文理融合学科は、どうしようもないどんずまりの状況にあるというわけです。
もし、本当に広いフィールドで活躍できる人材を育成したいのであれば、ダブルメジャーへの道を開いて、両方を高いレベルで履修できるようにできるだけ、教育機関が支援する事に方法があるのではないかと自分自身は思っています。それが、文系と理系の乖離をなくしていく一つの方法ではないでしょうか。
最後に、日本人というのは文系と理系の乖離が激しいという事を良く聞きますが、ある程度人には、文系に対して適性の高い人と、理系に対して適性の高い人がいる事はいなめません。そして、これらがなぜ顕著になるのかと言うと、社会において、お互いがそれぞれのセクションを形成して、それぞれのセクショナリズムでモノを語る所に原因があるのではないかと思います。例えば〜〜という企業において、経営陣に加われるのは〜〜部上がりの人間だけだとか、そのような事態に至ること自体がそもそも、文理の乖離を進めているのではないかと思います。これを打開するために、特に経営のトップなどの戦略や方針を総合的に決めるチームに関しては、幅広い知識を持ちそれぞれ違うフィールドを持った人があつまって、まさに複合チームの形成するのが、偏った方針からの抜ける方法のように思います。三人寄れば文殊の知恵とは、まさにそのような人事のことなのではないでしょうか。
これらに関しては、また違った側面から理系白書に書かれていますが、今の社会システム自体が文理の乖離を促進するシステムになっているという事は間違いないでしょう。
次回からも、理系の大学院進学率の高さ、博士課程からポスドクへ、理系の文系就職の増という風に書ける所まで書いていこうと思います。
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