最近の教訓です。先生や同僚とディスカッションするにしても、「やる気」か「データ」のどちらかがないと研究の議論になりません。
良い例1:
A「こんなデータが出たんですが、こういう解釈だと思うんですけどどうでしょうか?」
B「こっちの効果が効いているので、次はこういう実験をしてみたら、もっとはっきりした結果が出るんじゃないかな。どう思う?」
―この後も議論は続く
良い例2:
A「今までこういう実験をしたことないんですが、こういうのがどうしてもやりたいんです。」
B「うちにこういう実験系があるから、あの人に聞いてみたらどう?」
―この後も議論は続く
一方、
悪い例1:
A「ちょっと研究のディスカッションしてもらいたんですけど」
B「いいよ、どんなデータが出たの?」
A「実験してないんで、データはないんです」
B「…」
―終了。
悪い例2:
B「せっかくディスカッションできるタイミングだから、いろいろ実験の話を聞こうか?どういうことがこの研究の目的なの?」
A「…まだ目的を決められないんです」
B「ああ…、じゃあどういう研究がしたいのかな?」
A「研究はしたくありません…」
B「…」
―終了。
逆に言えば「やる気」か「データ」さえあれば必ず有益なディスカッションができるということです。
ただ、「データ」でないこともあるので、研究に対する「やる気」、モチベーションは絶やさないようにしなくてはなりません。
そして研究に対するモチベーションを養うためには、人と人とのコミュニュケーションしかないわけで、研究室もしくゼミは、研究のやる気を養うためのコミュニティと言ってもいいのかもしれません。